情報元との出会い
生ける伝説!
馬造りにより、合法的に競馬を作った男!
情報元との出会い
私(齊藤)が競馬予想サイトを運営開始したのは2003年1月の事でした。
その間、何度も行き詰まり苦境に陥った時がありました。
2004年の秋競馬で大失態をやらかしてしまい、2005年は活動を中止し、馬券師大会を開催!
参加者は30名ほどでしたが、賞金は
生ける伝説!
馬造りにより、合法的に競馬を作った男!
私(齊藤)が競馬予想サイトを運営開始したのは2003年1月の事でした。
その間、何度も行き詰まり苦境に陥った時がありました。
2004年の秋競馬で大失態をやらかしてしまい、2005年は活動を中止し、馬券師大会を開催!
参加者は30名ほどでしたが、賞金は
彼と知り会ったのは、私が不動産業界で営業職をしていた2007年10月の事。
その時は賃貸借契約を結ぶ、ごくごく普通の仕事の上での関わりだけでしたが、約束にいつも遅れて来る方だったので、当初あまり良い印象を持たなかった。
でも『どこか普通の人とは違う』と思わせるオーラのようなものを感じさせる人でした。
一緒に来店されていた方は彼よりもジョッキー時代の成績が上だと言う事をネタにしつつも、S氏には頭が上がらないようで・・その人が場を和まそうと思ってか?
面白おかしい話をしても、顔色一つ変えず黙っている。
一言で言うと、あの当時のS氏は軽さが全くなかった。
今思うと彼が育成場の管理職に抜擢され、こちらに来たばかりで、相当多忙だった事も理解出来るし、後で聞いたところ、乗り役引退を決意するにあたって様々な好条件オファーが舞い込んで来たので引退する事を一瞬撤回しようか?とも考えたらしいのです。
でもそこで引退を撤回しまうとみっともない!と、考え免許を返納し引退に至った・・・これが真相らしい。
馬造りで中央競馬で合法的に競馬を作った!
ある日、私が会社を辞める事になった。
その理由はこの下に書いてあるけど、人生色々で・・
当面『競馬情報屋一本で食っていこう!』と決意し、駄目元でこちらから電話をし事情を話してみたのです。
電話口の彼は、私が真剣に困っている事を悟ったようで、じっと話を聞いてくれた後、口にした一言は忘れません。
2008年1月の事でした。
彼は『俺は馬造りによって、中央競馬で合法的に競馬を作る事が目標!俺の話は予想ではなく情報だから!何かいい話があれば、そん時に電話するからさ!』このように話した事は今尚、鮮明に覚えております。
当初この話を聞いた時『この人はビッグマウスなのか?』と疑った程でした。
それに『電話する』と言っても一向に電話すらない。
ひょっとしたら『関わりなくもない!』と言うのが普通の考えだと思うのです。
『競馬情報屋』という時点で、関係者なら離れていくのが普通なんです!!
面倒くさいトラブルにでも巻き込まれる可能性があるわけでしょ!?
ところが・・・・
そんなある日、彼から突然電話があり、『明日の中山2Rのナイスラッキーは前回俺がユルメに造ったんだが、今回びっしりヤッて、馬体を絞って送り出した。まぁ、好勝負にはなると思うよ。』と説明して下さり電話を切った。
早速前走をチェックすると『かなりズブイ印象の馬で、スタート後に出して行き先行したものの、直線に入ってから全く伸びず、他馬にどんどん抜かれていく。結果的に勝ち馬から遅れる事10馬身以上差の12着・・』
それを観た感想は『うわーまたか!(>_<)』これまでにもこんな事を、美浦に近い場所に住んでいると何度も経験しているので、同じ類の話か?と思ったのですが、話した内容に無駄がなく、具体性があったところが今までと異なっていた事は確かなので、『ひょっとして!?』と、思えたのです。
当時は会員様が200人前後おりましたが、その人達に向け、『この馬を推奨して良いのだろうか!?』しかも初の中山コースに吉田豊に乗り替っている。
競馬関係者としての範疇での事ですけど、あの人のような方にこれまでお目にかかった事がない!
色々考えた末・・・
この馬に賭けてみよう!と、決断を下したのです。
不安は残りました!
正確にはレース決着が付くまでの間・・・
つまりゴール寸前まで不安が残り通しでした(汗)
2008年3月22日・中山2Rで推奨してくれた単勝8番人気のナイスラッキー号がレース序盤縦長の展開で後方から2番手を追走し、上がり3Fメンバー中最速の脚を使い、ゴール寸前内を突き3着!?・・になったのか?・・
3着か4着か!?4着なのか?3着なのか!?
『3着』が確定するまでの間、緊張し通しだった事を覚えています。
単勝1.2倍の圧倒的1番人気馬トウショウゲームが馬群に沈み、レースそのものが荒れに荒れ、結果3連複39万馬券
(平場の3連単がない時代)複勝1390円的中!
当時の馬券が残っている!しかし画質が悪すぎる。
早速彼に電話を入れ、感謝の気持ちを伝えたところ『そうそう!スーパープライドの話もしたと思うけど、1000万クラスでも十分通用するので、狙い続けるのも手だよ!俺は馬券はやらないけど、カネになる馬だからチェックしておいた方がいいよ(笑)』と、まるで当然のように別な話をするんです!
並みの人なら、そこで少しは自慢げになってもおかしくないところなのに、既に終わった事になっている。
そこがかっこ良くて・・・
男が男に惚れると言うのはこういう事なんだな~!と思った次第です。
ところが当時の私はS氏におんぶに抱っこの状態で、会員様にスーパープライドの話をする事が出来ず、一番美味しい配当の部分を獲り逃していたのです<(_ _)>
結局お届けするようになったのは、ほんの少し後になりましたが、結果的に準オープン入りしました。
気になる方はスーパープライドの戦績を調べて下さい!
その後の彼は、このレベルやそれ以上の事を何度もやってる事は多くの方もご存じなのですが、当時会員様でない方にはお分かりにならない事なので、ここで補足する事としました。
私が分かった事は『俺は馬造りによって中央競馬で合法的に競馬を作る事』を既にあの時から有言実行していた事!
それと情報屋になるなら一流を目指してみたら!?と言われたのです。
しかしそれにしても、全く聞いた事もない馬名2頭を教えてくれたのですから、何か意味でもありそうに感じたのです。
あの時にご紹介した馬名にも意味が込められていたんですね!
スーパープライド・何事にも誇りを持ち一流を目指そう!
ライスラッキー・俺に相談したのはラッキーでしたね(笑)
私はある大手運送会社で最年少業務責任者と呼ばれ、未だ伝説と化しているとの噂を聞く事があります。
入社歴僅か3年で10年以上の社歴を持つ人達を飛び越した形になったわけで、その当時26歳だった私の月収は固定75万円。
1つ上に行くと満額と言わる額になるのですが、95万円だったかと記憶しています。
そのポジションは統括店の業務責任者で50才くらいでしたけど、非常に達筆で言われたのが『頭で考えながら字を書けば出来るようになっていくもんだよ!誰にでも出来る事だ。』
ところが私を管理職するには『まだ早い』という意見が大半を占める中、支店長が推して下さったらしく、いわゆる『ゴリ押し』だったらしいのだ。
当然、面白いと思う人ばかりではなかろう。
新支店を立ち上げた際、上層部との意見の食い違いが元で、退職を決意したのだが、今にして思うと、私を潰す為に様々な罠を仕掛けられていた事が後に判明したものだ。
ところがそれを仕掛けた当人達は全員早死にしていた事を後に知ることとなる。
前職で過労死寸前だった私の次なる職場は、業界最大手の不動産会社。
但し、体のあちこちに疲労による蓄膿症、虫歯、など未治療のまま入社する訳にも行かず、リフレッシュ期間を頂き1ケ月掛けて万全の状態で新天地へ入社したのである。
当初はいわゆる『使い捨て』とも言われる営業部隊に所属していたのだが、入社3ケ月以内に建築契約を受注した私は入社後すぐに新人賞と言う賞を頂きました。
その支店は大型支店と言われるところでしたが、『3年以上新人賞受賞者不在!』と言う中での受賞には皆様が快く迎え入れて下さった!と感じたものです。
初任給から前職並みの78万円が最初の給料でした。
一方で、この部署にいつまでもいたくない!と、思い始めたのですが、それを口には出来ない。
つまり、その部署から異動出来た人の前例がなかったのです。
『このままではいけない!』と、即座に悟った私は国家資格を取る事に集中していく事になる。
宅建、FP、などまず簡単なものから取得していく内に、支店長から『君は営業を卒業した方がいい!』と言われ、異例中の異例である他部署への異動を命じられたのである。
つまり学卒扱い(笑)・・何と運のいいやつなんだ!
よく皮肉を言われたものでした。
事務職も嫌いではなかった。固定給も高く賞与は年3回出て多いときには250万を超える。年収は800万超え、ところがどうしても物件を紹介する仲介営業に興味を持ってしまって、異動申請を行おうとしたところ、
既に1ケ月後にそこに行く話が出来あがっているというので、楽しみにしていたのです。
仲介営業、つまり物件紹介の仕事の事です。
そこに2年程在籍し、不動の1位が女性の営業マンだったが、その人だけには敵わない。2位がやっとでしたね!
その1位の方は年収1200万だったかな?
その後本社に異動した私は1年審査部門におり、
その後、戻ってきた際、再び仲介営業を希望し、2度目の仲介営業に戻りました。
その時にS氏と出会ったのです。
本社経由で戻ってきた私は、仲介部門課長になる事が決まっていたのですが、実績を挙げてやろう!という意欲があり、周囲は少々煙たがっていたようでした。
数千人にも及ぶ方と面談し、どのようなお客様に対しても対応は全て同じと決めておりました。。
ある時、みすぼらしい恰好で訪れた女性の方に、接客対応を絶賛された事があります。
その方は、ある団体の理事長と後に分かったのですが、
当初お会いした時にはジャージ姿でノーブランド、契約時にはドレッシーなスーツと、ウッド系の重厚な内装の理事長室は、シックな佇まいの中に豪華さも兼ね備えていた。
大型デスクに腰かけ、お化粧もばっちり!
そこにはあの時のおばちゃんではなく、
きりっとしたやり手の奥様・・もとい
ご立派な理事長がおられたのです。
『人を見た目だけで判断していけない。』
幼少期に父親から私に向け放った言葉の中の一つ。
その女性はお嬢様の結婚を機に独立させる為、新築の賃貸を探しておられたのです。
そこで私は、新築で最も賃料の高い2フロア使用できる高級物件をご紹介したのですが、これを大変に気に入ってくれました。
なぜか?と言うと、この時点でまだ自分の正体を明かさなかくても、何故無理に下品を装っているのだろう?という違和感に気付いていたからです。
他の不動産屋ではワンルームを勧められたり、外●人の入居するような古ぼけた物件ばかり紹介されたようで、
『貴方には人を見る目があるから、ここに決めたわ!』と即決された訳ですが、こういう事はザラにありました。
その方には夕食をご馳走になりました。
しかし 『人を見た目だけで判断していけない。』と言うのも、時には命取りになります!
はい~!私は、コレで・・会社を辞めました<(_ _)>